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パーソナルコンピュータ

 汎用機やミニコンは個人の懐には高価であった.しかし,コンピュータの心臓部であるCentral Prossesing Unit(CPU)の機能を1つのLSIに集積したマイクロコンピュータの出現とともに個人向けのコンピュータが出始めた.それが個人向けであるところからPersonal Computer略してPCと呼ばれるようになった.

Altair 8800, IMSAI
 最も代表的な初期のPCとして MITS 社の Altair を挙げることができる.Altair 8800 はビル・ゲイツ氏がその上にプログラム言語 BASIC を構築して最初の大きなビジネスとした機種として有名である.IMSAI はその後継機種である.図を見ればわかるように,現在の PC とは異なり,プログラムやデータは2進法でスイッチにより入力する.もちろん,プログラム,データ,アドレスなどの表示も2進法である.

 大きなプログラムを2進スイッチで入力するのは大変なので,通常は小さな Initial Program Loader( IPL)を入力する.それは,紙テープリーダからやや大きなプログラムを読込むためのものである.IPL の入力が終わればそれを起動して紙テープからより大きなプログラムを読込む.

 紙テープから読込むプログラムは実用的なものもあるが,紙テープは遅いのでオーディオテープやフロッピーディスクからより大きなプログラムを読込むためのものが多い.このように,順次高いレベルのプログラムを読込んで行くことをブートアップと言う.BASICなどの高水準言語を読込む段階までのプログラムは CPU が直接実行できるマシンコードで記述しなければならないために,価格こそ手頃にはなったが到底素人が使えるものではなかった.

Altair 8800

Altair IMSAI

不朽の名機 Apple II
 時代が進むとともに PC も使いやすいものへと姿を変えていった.最初の PC らしい PC は「Apple」( Apple社の社名はこの PC 名に基づいている)である.それに刺激されて汎用機メーカーであった IBM も「IBM PC」を出した.大企業の IBM は市場占有率を 50% 近くまで追い上げたが,OS とハードウェアのスロットの規格を解放した Apple に凱歌が上がった.後の IBM PC-AT と Macintosh では,Macintosh が閉鎖的な規格になり,この関係が逆転した.

 Apple の記念碑的な機種は Apple II である.使用した CPU は MOS Technology 社の 6502 でパイプライン処理に加えて 0000 番地から 00FF 番地までの 256 バイトの番地が 1 バイトで指定できる「ゼロページ」の使用により低速クロックで高速動作を実現していた.この 6502 は後に初代ファミコン,PET,Atariなどに使用された.

 Apple II は他の PC が備えていない多くの機能でユーザの支持を獲得した.それらは以下のようなものである.
  ・ 8つのスロットを持ち,拡張性が高い
  ・ 高度なグラフィック機能
  ・ PC
  ・ 大容量メモリ(128KB〜1MB)

 Apple の出現以後,多くの PC にカラーグラフィックが搭載された.

Apple II(1977年)


Apple IIの内部

特異なPC PET 2001
 この頃大阪電気通信大学ではコンピュータ教育の改善を検討していた.当時のコンピュータ教育は汎用機の FORTRAN によるバッチ処理というのが普通であった.しかし,この方法は効率が悪いので,PC による教育に切り替えようとしていた.多くの PC が俎上に上がったが,新たに発表された Commodore 社(元は,電卓メーカー)の PET 2001 を使用することに決定した.なお,大阪電気通信大学は PC を使ったコンピュータ教育を日本で最初に実施した大学である

 PET 2001 には以下のような特徴があった.
  1 一体型でディスプレイを別途購入しなくても良い
  2 スイッチ投入で BASIC のコマンドモードになった
  3 BASIC 用の優れたスクリーンエディタの装備
  4 40ビットの浮動小数点
  5 専用のデータレコーダ(カセットテープ)を装備
  6 GP-IB インターフェイスを装備

 これらのどれもが当時は斬新なものであった.(3)のスクリーンエディタは秀逸で,使いやすいものであった.また,BASIC の浮動小数点(実数)は 40ビットで,一般の 32ビットより精度が高く倍精度の必要性をほとんど感じさせないものであった.(5)のデータレコーダは,それ自体は「安物」であるが,パルス波形に整形した信号を使用していたためにデータやプログラムの読み書きが確実であった.ちなみに当時の Apple II などは普通のオーディオカセットを使用していたために不安定であった(フロッピーディスクもあったが高価だった).最後に(6)の GP IB インターフェイスは,当時それを装備したコンピュータが数100万円もしていたために,コンピュータ演習が始まるとともに,GP IB を目的として購入する研究室も多くあった.

 欠点の1つは電卓のキーをキーボードにしたために小さい上に上下方向が真直ぐなので,キー入力がしづらいことであった.これはほとんど全てのユーザが不満としたところで,次のバージョンからは標準サイズのキーボードに変更された.その代償としてカセットデッキが本体から追い出され,外付けとなった.

 PET も Apple と同じ CPU,MOS 6502 を使用していた.PET の本来の用途は BASIC によるプログラミングであったが,マニアはそれでは承知しないものである.Commodore社はその要求に応えるためにマシンコードのモニタを供給したがそれ以上のサポートはしなかった.そこで多くのマニアは CPU が同じである Apple II 用の逆アセンブラを PET に移植していた.よりマニアックな人々は,この逆アセンブラの一部を使ってアセンブラを構築して,BASIC より柔軟で高速のプログラムを実行させていた.なお,当時の PC では Intel の 8080 より MOS-6502 の方が優勢であった.

PET 2001(1977年)

懐かしのPCたち

ウィンドウシステムの出現